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2021-12-12

手か?キカイか?

手でつくるのか、それともキカイまかせにするのか?

圧倒的なまでの経済至上の世において、スピードに勝るキカイを横目にコツコツと手でつくり続ける意味や価値は見出し得るだろうか?もしもそれが自己満足の範囲内であるならば、おそらく近い将来、淘汰される憂き目に晒されることになるだろう。それほどまでに世界は圧倒的な勢いでキカイ任せにする方向に進んでいる。

産業革命以降、手とキカイの是非を巡るあまたあるギロンの中でボクが注目するのは「人材育成」というキーワードだ。手仕事には修行1年目でも可能な、十分にその役割を果たし得る仕事というものがある。そして段階的に、10年目でなければ難しい仕事もある。そして、求めさえすれば、その求道に終点はない。人生を賭す仕事たり得るということだ。「手仕事には一人の職人の成長の過程がプログラミングされている。」と言い換えることもできるかもしれない。一素人が、一人前の職人に、自らの役割を果たしつつ、その社会においてその存在価値を示しつつ成長することができるということだ。

「すべての人にその価値と役割がある社会」だ。

キカイへの極度の偏重は、この価値観を奪うことになりはしないか?
スキルは学校で、社会に出ることはプロであることと同義、プロには過剰な責任が課せられ、いつの間にか社会はその寛容性を失っている。そんな生き方は本来、不可能だ。

「キカイが、AIが、すべてをやってくれる」我々は本当にそんな社会を望んでいるのだろうか?

設計・六車誠二

次回からテーマは「木取り」に変わります。

INSTAGRAM: https://www.instagram.com/architects_muguruma/?hl=ja

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