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2015-12-15

インド旅行記

11月末日から2週間(前半はガンガ・マキ・テキスタイル工場建設現場でのワークショップ、後半はインド北部建築弾丸ツアー)の工程で、チーム六車はインド旅行を敢行しました。今回は、その感想を参加者各々が綴ります。



インドが教えてくれたこと

幸せな人生とは毎日の小さなしあわせに気づく事の積み重ねだと思う。

旅で出会った人たちは親切で明るくて、愉快で、たくましい人がたくさんいた。
決して裕福でいい生活をしてる人たちではないのに、強くいられるのは、皆自分の価値観、生き方を大切にして生きているからだと思う。
今まで自分は遠くにある幸せばかり見て、足元に転がってるしあわせに気づけていなかった。
これからはもっと目の前にある物事にしっかり向き合い、小さなしあわせをたくさん拾っていける人でありたい。

大工・平山優陽



東北旅

2週間という時間、海外研修という選択肢がある中、私は国内に残る事にしました。海外研修の話を聞いた時、海外よりもまず、日本を見てみたいという思いがあったからです。
今回の旅では、南は京都から北は新潟、福島まで総移動距離約4500㎞、約25ヶ所を車で寝泊まりしながら行きました。その中でも1番心に残っているのは福島での事です。会津飯盛山・さざえ堂を見学している時、係の方と建物について話をしていました。その中で震災の話になり、当時の事から原発、風評被害など話してくれました。その後、予定を変更し被災地を車で走ることにしました。被災地は更地が広がっていて、廃虚となった店も多く、原発による通行止めなど、震災の爪痕が多く見られました。
今では、テレビやメディアを通じて、被災地を見る機会が無くなっています。そんな中、多くの方々が復興に向けて働いていますが、復興にはまだ時間がかかりそうです。原発がある限り復興はないと言う方もいました。
私の人生で決して忘れる事のない日になりました。

大工・ 中矢駿佑



格好つけず素直であること

真木テキスタイルデザインの新設ganga工房(北インド・デラドン)に1週間滞在させて頂き、建築家ビジョイ・ジェイン氏から現場の説明を伺うことができた。

この現場の核の部分「中心」の話に私は感動した。
和を成す工房4棟の中心より少しずれた場所に、小さな水盤が計画されていて、そこに鳥や動物、人がそれぞれ集まるそうだ。
そこにはヒマラヤの水が湧く。
彼は「Like WABISABI」と言う。ここは日本の「完全ではないという美学」に似ているという。
中心ではない中心部分が心地よく大切だというのだ。
中心部分は、ヒマラヤの水と共に建物にある。
ナチュラルな設計姿勢とアーティスティックで深い思考と、現場を動かすパワフルでスピーディーな指導力があわさる。
完全に魅了されてしまった。
そして施主である田中ぱるば・真木千秋ご夫妻。この機械化の中、手紡ぎによる天然シルク糸から作られた手織りの布に感動した。大切だと信じることを素直につくり続けている。
活気のあるインドで、全力で頑張っているナチュラルなものづくりを見せて頂けた旅になった。
たくさんの気づきと、愛あふれる歓迎に感謝いたします。

設計・矢野裕子



スリーマンセル (三人一組) 

インド旅後半、山下、長江、平山は三人で行動を共にした。この三人には妙な共通点がある。B型、左利きの大工が三人=自己中心的であまのじゃくな職人が三人。この三人で目指す場所は巨匠ル・コルビュジェが70年も前に設計した計画都市チャンディーガル。私が20年前に建築の教科書で見たあの都市が150km先にある。行かないわけにはいかない。B型は団体行動が苦手だ。なぜなら気になる事があると即行動してしまう。しかし、その行動力はすさまじい。つたない英語で前へ前へと進む。皆が同じ方向を向き協力すればすぐに着く。皆が自分の役割を果たせばうまくいく。無事チャンディーガルに入る。都市の大きさ、迫力に圧倒される。ル・コルビジェに触れたようだった。この感動は忘れない。
しかし70年前にスイス人建築家が見知らぬインドの地でこれほど大きい都市を完成させる大変さは計り知れない。
心に大きな蓄えを抱き日本へ帰る。 新たなる現場へ向かう。前へ前へ、六車工務店は更なる高みへ。インドでお世話になった皆様ほんとうにありがとうございます。

大工・山下佳太



大空と大地とその中

ガンガ・マキ・テキスタイル工場建設現場で4泊させていただき、建設中の建屋屋上を自ら選んで寝床としました。満天の星空に、幽体離脱するかのごとく吸込まれそうになりながら、大地と宇宙の間で建物と共に夜を明かしました。

建築は「地球を囲む無限の空間の一部」、言い換えると「宇宙の中の模型」であると言う人もいますが、それは太陽と月の進路と緊密な関係をもつ「マンダラ」の思想へと繋がっていくように思います。

その地の素材(レンガ、石灰、石)でつくられるこの建物は、しっかりと大地に根を張り、同時にこの環境にごく自然な形で溶け込んでいます。これら素材のことを熟知した職人さんたちによって手作業で作り上げられるこの建物には、ひとつひとつ魂が宿り、健全な人間の営みが存在しているように思われます。

とあるスイス人建築家は次のように述べています。『家は人工の構築物である。それは繋ぎ合わせる必要のある個々の部分から成っている。この繋ぎ方の質が、完成した建物の質を大きく左右する。』そして次のようにも述べます。『素材、構造、支えるもの支えられるもの、大地と空といった、建築の基本をなす根本的なものへの信頼が、ほんとうの空間たりえている空間への信頼が、昨今の建築にはどうしてこんなに見られないのだろう?』

宇宙と大地の循環の中に、本来あるべき人間の役割が存在し、その豊かな時間を育んで未来へと繋ぐこと、ここで働く人々の前向きな姿勢からも、その重要さを考えさせられた滞在となりました。

設計・上杉康介



インドの空は本当に綺麗でした。
2015年11月30日~12月11日 デリーIN~デラドン~シムラー~サラハン~ハリドワール~リシュケーシュ~デリーOUTと旅する貴重な時間を、多くの方々の御協力があって得る事が出来ました。
デリーに到着した時は、スモッグとクラクションの嵐で、正直まいりそうになりましたが、その日の内にデラドンのガンガ工房の現場に移動し、一転。
素晴らしい現場に圧倒され、 人の思いやりに心から感謝し、 通じない言葉を、なんとか伝えようと全身でぶつかった1週間。
ふと空を見上げて息を呑みました。
恥ずかしい事に日本にいる時は、朝焼け夕焼けの空の美しさを忘れていました。いや、空を見て美しいと感じる、「心のゆとり」がなかったのかもしれません。
インド北部の空が美しいだけなのか? 僕の心に変化があったのか? 本当のところはよくわかりませんが、インドの空に感動してしまいました。
現場の最も高い所から見た夕焼けの空、照らされた現場は、忘れかけていた大事なものを呼び起こし、自分を「原点」に戻してくれたように思います。
これからの人生、ちょっとでもいいから新しい自分になれるよう、インドの美しい空を心に刻みます。
素敵な旅に、素晴らしい出会いに、ありがたい思いやりに感謝した2015年師走の始めでした。 真木さん、お世話になった皆様、 心より御礼申し上げます。

大工・六車俊介



 ローカル・デザイン

デラドン一帯はガンジス河の氾濫域でどこを掘ってもコロコロとした丸い石が出てくる。
これは地域の素材。
地元の素材をあつかうのは地元の職人が一番上手ということで近くに住む石積み職人が一家総出で腕を振るう。広大な敷地のペーブメント、ちょっとした水路、ステップ、段差・・・風景に極めてさりげなく、しかし確かなアクセントを与えていく。

ローカルの素材を使い、ローカルの職人の手で、ローカルの風景をつくっていく。これが建築家ビジョイ・ジェインの考え方。

当たり前のようで、今一番難しく、失われつつある価値観の1つ・・・美しい、と感じる。写真は、雨期の雨水を一所に集め数段階にわたって濾過しつつ利用するためのシステム。セメントは一切使わず、石と土だけで築かれていく。

設計・六車誠二



世界一

インドでの出会い、場所と時間が、心地よく沢山の刺激を受け充実した日々でした。帰りの飛行機からヒマラヤ山脈が遥か遠くに、微かに・・・見えて良かった。

左官・太田勝之



「原点」―2015年インドの旅―

今回の旅は、帰って思い起こすと「原点」を確認した旅でした。

今回、テキスタイル作家真木千秋さんの「GANGA工房」で、真木さんの、探究 心、素材愛、伝統文化に対するリスペクト、を感じる事が出来ました。

今現在建設中の「GANGA工房」で、「スタジオムンバイ」のビジョイ氏からも、 同じ事を感じる事ができました。

自分も以前は、新しい作風、自分らしい作風は何かと、形を追いかける事をしていましたが、真木さんと、ビジョイ氏から感じた事の積み上げた事が、自然に新しい事につながることになるのではと、今は思っております。

今回、約2週間の旅でしたが、本当にお世話になりました。真木さん、パルバさんはじめ、GANGA工房スタッフの皆様、ビジョイ氏はじめスタジオムンバイ、スタッフの皆様 、今回の機会を作っていただいた蓮井さん、六車誠二さんはじめ六車TEAMの皆様、有難うございました。

木工・山地裕之



ロックガーデン

廃材とは、不用のものとして廃棄された材木・材料のこと。
当時、チャンディーガル(インド北部の都市)ではル・コルビュジェ氏により、モダンな都市建設が進んでいた。

ネック・チャンド氏は、その際に発生した大量の瓦礫(陶器、タイル、ガラスの欠片など)を拾い集め、それらを使って人や動物の彫刻を作り、人目を忍んで庭園を造り始めた。

大量の瓦礫を廃材ではなく、アートとして、また建築の素材として新しい命を吹き込む。 私はこの庭園を観て、感銘を受けた。

今の日本は物に溢れ、物を粗末に扱う人が多い様に思う。

恵まれた環境で生活する人間として、廃材と思い捨てる前に何かに使えないか?と改めて考えたい。

大工・長江友樹

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